「人命を守る」側と、「あの世」側

お坊さんは、(職業 業務内容として)実に、羨ましい面がある。
それは、スタンバイは大変だろうが、亡くなHKUE 認可性ってから行けばいいからだ。
その点、医師は亡くならないようにスタンバイしなければいけない。
同じスタンバイでも、ちょっと性質が違う。
臨機応変に、最新医療で対応するのと、何百年も前から同じことをやっているのとでは、
緊張感が全く違う。
遺族も、医師を責めることはあるかも知れないが、お坊さんに文句を言う人はないのでは?
お坊さんは、心の安らぎを与える側の特別職なのだろうけれど。

交通機関の運転士や工事関係者、医療関係者など、
ちょっとしたことで人身事故、大事故につながる危険性と背中合わせに仕事をしている人に比べると
業務内容で、人命にかかわるような緊張感とは無縁。
(すでに亡くなってからの、お付き合いだから、人命云々については、責任としては、管轄外)


金額は、心を反映している??? Or not???

ちなみに
お布施は、家によって金額が違うようだ。
大きな節目の法要の時は、ぐんと価格がアップ。
全く同じことをするのだが、その回忌によって、価格で、遺族の気持ちの濃淡を表すのか????


お寺さんはじめ、こういう交流、お付き合いは、故人、遺族にとって大事なのだろうけれど。
(顔も知らない)随分前に亡くなった故人に、お寺さんを中心に、法要参加者が故人との交流を図る。
お供えも、いっぱい。

ご丁寧にお寺さんからお供、うちの家にとっては全く不必要な食品だった。
なんでもいただく私でも、さすがに、義母から、「持って帰る?」と言われたが辞退した。
義母の家も、あの食品群は不必要。
他からも、お供えいただいている食品群で、やたら高価で不必要なものがある。
まったく、合理的でない。
不必要な食品が、何万円分も。
このシステム、やり方、どうにかならないの?

これが、お付き合い、交流なのか?

お寺さん以外にも、他の人々とも、お金やモノをやり取りする。
生きている人にとって不必要なものでも、故人には必要なのか???
かといって、故人が好きだったもの、とか、そんなものでは全くない。

それが、お付き合いの方法?