朝日が上がる7時までの時間を、彼女は、甲斐甲斐しく、わたし如新nuskin產品のサポートらしきものをしてくれている。
わたしの、ブログタイムは???
そわそわ???
もうだめだ、時間がない。

フランス語ラジオ講座をあきらめ(もとからアタマになんか入っていない、ただのBGM)、
教官に、告げる。
「ちょっと、わたし、ぱそぱそタイムね」

わたしがパソコンに向かって、しばらくして、
「お風呂からあがったら、言ってね」
そう言い残して、彼女は、ダイニングキッチンを離れた。

それから1時間ばかり、仮寝に移るとのことだ。
もう、すっかり日は上がり、あたりは明るくなっている。
かくして、わたしは、ブログタイムを確保した。
が、制限時間は、あとほんの少し。

老妻は、老婆となり、すっかり、牙も、義歯も、入れ歯も、差し歯も抜かれ、
うつろな目で、ぱしゃぱしゃ、カチカチと、無機質にキーを打つ。


さ、はやくしないと。
教官が、待ってるし。


清く正しい、教官のいる朝は、すがすがしく、
そして、もぞもぞ、ブログ菌に冒さ能量水れているわたしは、感謝しつつも、
さて、なにを綴ろうかと、考えている間に、タイムリミットを迎えた。

漫画目キラキラ、輝かせる余裕は、ない。怖い生活指導員、教官つきの生活が始まり、皆さんのブログをゆっくり読むヒマがない。
ざ、ざ、ざ、-っと読むのでは、せっかくの面白い内容が台無しになり、いかにも、もったいない。
でも、自分のブログを更新する時間が、背中に迫り、冷や汗、脂汗。

で、最後の妊婦検診に向かう時間が迫る、その残された貴重な短い時間で、
まったく関係ないことを書く。
(老妻シリーズ、もう止めたのか?)


パリになぜ、行きたいか?
-----パリに行くこと自体が目的だから。

パリになぜ、住みたいか?
------パリに住むこと自体が目的だから。

テニスをなぜしたいか?
------コートでステテキだから。
(わたし、テニス、しませんが)

○○をなぜしたいか?
-------○○をしている自分を夢見るから。
-------○○をしている自分がカッコイイから。

なんか、中身がない。
ミーハー的発想だ。
順番が逆だ。



が、塾や、サポートは、やはりお金の力によるところが大きい。
成績も、あるレベルのあたりでは、お金がモノを言うかも知れないが、
一定以上では、お金や背景、環境は、ぜんぜん、役に立ってくれない。
そのあたりが、面白いような、ざまあみろ、のような、潔さがある。
(わたしは、どうせので、気楽なものだ)

子供ながらに、子供同士、実力で勝負、という厳しさを味わったような気がする。
(かんたんに負けてるところは、良くないけれど)

すべての条件を整えられて、同じ条件にして、さあ、闘え!!と背中を押されると、
案外、キツイかも知れない。
自分のせいではない理由を見つけてきて、言い訳が出来ないから。


いじめられたことは、あんまり根に持ってなく、さほど苦にもしてなかったように思う。
今に見ていろ~、と力むわけでもなく、それをバネに強くなるわけでもなく。
わたしにとっては、イジメよりも、問題は別のところにあって、
淡々と自分の力というものを見せ付けられ、思い知るだけだったような。
そして、家の外のほうが、家庭内に比べたら、楽々な世界だと感じていた。
それに、状況が変わって学校で顔を合わせることがなくなると、自然消滅していた。

鈍感だっただけか?

なんか、だらだら、綴っただけの、メリハリのないものになってしまった。
時間限度、ここでいっぱい。
だらだらのまま、おしまいです。恋って、不思議。
むかし、むかし、大むかし・・・布施明という歌手が歌っていた。

「恋というものは・・・不思議なものなんだ・・・
・・・逢えばまた切なくて、逢えなけりゃ悲しくて、逢わずにいられない・・・」

 
そもそも、恋なんていう不安定な精神状態、これは、精神衛生上よろしくない。
しかし、芸術や、小説、映画、その他、これを主題に、メインテーマに多くの作品が描かれている。

ある人が言っていた。
「結婚して、すごく、ホっとしてるの。
これで、もう恋に振り回されなくて済むから」


わたしは、子供の頃、家で鏡に向かってメークをしている母に聞いた。

「ねえ、なんで、もう結婚してるのに、おかあさんは、お化粧するの?」

誰に教わったわけでもないのに、幼いわたしのアタマの構図では、
女性美アピールは、結婚するための、オスを捕獲する策略みたいなものだと考えていたのだろうか。
マセている? 冷めている?
あるいは、子供の頃から、人生に対して見えるものがあった?

その時、突拍子も無いことを言い出す、小さいわが子に、
母はなんと答えたか、覚えていないが、おそらくわたしを納得させる答えではなかったに違いない。



延命治療や、手術をしないのは、高齢になると、よく、そういうことを医師に勧められることがある。
私のごく身近な親戚も、数名がそうしていた。
世の中に、そんな勇気のある人は、いない、って・・・そんなことは、ないはず。

亡くなったひと水解蛋白をとやかく言うつもりなど、さらさらなく、ご冥福をお祈りするばかりだ。
だが、日頃は疎遠で、配偶者の兄弟にまかせっきり、
病気になってからも、ほとんど介護や医療費負担に関わってもいないのに、
口いっぱい、目いっぱい、自慢するだけ自慢するのは、
お義父さんを誇りに思われているのはよくわかり、結構なことだが、
当のご本人を知らないわたしとしては、複雑な心境になった。

なにも権威的な、大規模なお葬式や、送る会がいい、と、わたしは言ってない。
義理や権力で集う人ばかり、派手に人数を競うように、かき集めるより
本当に身内だけ、こころ通うひとmask house 面膜だけが、ささやかに執り行う家族葬でも、いいと思う。

家族だけが、身内だけが、知る、故人の良さや偉さは、自分たちのこころに生き続ければ、それだけで十分。
あえて、他人にアピールする必要はない。

世間を気にすることなく、こじんまり、身内でまとまりたい、
その一方で、誰の目から見てもわかるように、故人の偉さや力を他人に強調したい、
両方を同時に、というのは、双方、逆ベクトルだと思うので、無理な力が加わる。

身内自慢は、ほどほどに。

暖かくなってきた。
ひと足お先に、春気分・・・といきたいところだが・・・。


昨日は、別の先生の社交ダンス・レッスンを2コマ受けた。
生徒さんには、見覚えのある人が何人もおられ、
火曜日に別の先生のレッスンでお見かけした方々だ。

昨日は、はじめての先生で、はじめてのレッスンだったので、
いきなり途中から参加すると、なにがなんだかわからなかった。

わたし、けっこう、いい度胸しているなあ・・・と、冷や汗を通り越して、自分に拍手。
だって、あんなにわけわからなくて、皆さんのなかに、ぼーーんと、入って、
右も左もわからない、踊れない状態で、よく恥ずかしくないものだ・・・と自分で感心。

ささっと、ごくごくシンプルに、踊り方や注意点を教わったあと、
ひとりずつパートナーを替 米糠油えて踊って行くのだが、先生と踊る順番が来ると
さすがのわたしも、どきどき。
こんなヘンなヤツが紛れ込んできているよ、まいったなぁ・・・と先生は思うだろう・・・
だから、先に「わたし、今日が、はじめてです」と、言っておいた。

へろへろになりながら、顔は、にやにや、(いつもわたしは、究極の困り顔は、にやけ顔)、
どうにか踊ったが、先生に
「踊れていますね。あとは、自分取って踊ってください」
と、なぐさめられた。
最初からあまりキツイことを言うと、生徒に逃げられても敵わない、
という算段が先生のアタマをよぎったのかも知れない。

先生が他の生徒さんと踊っておられるのを見ると、踊った後に、親指を上に立てるだけ、
という人がいたり、ちゃんと踊れている人には、コメントはないようだ。


それにしても、先生、お上手・・・
いろんなタイプのダンサーがいるようだ。
プロでも、いろいろ。

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