そういうコメントをアップしようとして、場の雰囲気を壊しそうなので、やめた。

苦労している人々のなかで、裸の王様が、無神経なこと加拿大旅遊 をしゃーしゃーと言うのは
やはり、はばかられ189-1410061S044
る。
いかに苦労しているか、毎日がツライかという話をしないと、いけない。
人様の神経を逆撫でしても、なにもイイことはない。


さてと、
自分を正当化したり、ごちゃごちゃ理屈をこねないで、
少しでも機会があれば、親孝行、子孝行をしなければ???。

人のためになる、ということは、ひいては自分を成長させると思う。
上から落ちてくるものをじっと待っているばかりでなく、
「ありがとう」と言われる側に立てるよう、もっと能動的になれたら老年黃斑病變いいな。



昨夜は、姻戚関係の遠縁の方のお通夜に出向いた。
休日の夜ということもあってか、大勢の方々が参列されていた。
故人の娘さんたちが、大きな組織で現役で働いておられると、
その関係筋からの弔問人数がぐっと増える。

今回は、顔は存じている。
いつも私にはよくあるような、「はじめまして」「さようなら」が、同時というような
故人は顔を見たこともない人、ということはない。
婚家の法事に来てくださった時に、ほんの少しではあるが、話したこともある。

(お通夜だったので、故人とのサヨナラご対面シーンはなかった。)


そのあと、セレモニーホール階上で、会席場が用意されていた。
知った人もいないし、故人の娘さんに参加を勧められ、
別の親戚の親子(先月、その家の葬儀に列席したので顔を知っている)が、
参加されないで帰られるのをちらと後目に見ながらも、
参加しないのも失礼かと思い、用意されてい物理補習る会場に足を向けた。

喪主の方、関係者の方々が、ご丁寧にご挨拶に見えた。
初めて見る方々が、ほとんど。
中でも喪主は、若いなあとは思っていたが、一代飛ばして、お孫さん。
故人のご長女の息子さんで、母親方の姓を継がれたようだ。
そんな若い男の子が、わざわざ席に来て、挨拶をしてくれるわけだが、
私は、うんとうんと大幅に年上なのに、何を話していいか、わからない。


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いつもの、ふらふら遊び癖が、本日は、ちょっと、薬が効きすぎた感がある。
今日は休みだからと、ばかも休み休みにしないと、ばかだ。



今朝は、シラス丼がもたらした、愛と打算のミニ劇場。
シラス丼のほうが、ちょっと辛めでも、ずっと染髮焗油清らかな愛が育めるかも。
意味不明だと思いますが、まあ、そういうことです。

昨日は、早々とお歳暮第一弾が届いた。
シラスと、梅干と、シラス専用の醤油とで、シラス丼セット。
で、さっそく、今朝は、シラス丼にしたが、わたしには、イマイチだった。
梅干も醤油も、多すぎたかも。

ということで、朝、5時に、シラス丼を食べたせいで、目がクキっと覚め、それから一日が始動した。
シラス丼が辛かったので、白いご飯も食べ、昨日の巻き寿司も食べ、胃の中は、炭水化物だらけ。
炭水化物は、即、エネルギーに転化で染髮焗油きるという、燃えやすい特質がある。

お腹も燃え、カラダも温まり、朝からエンジン快調になってしまった。
なので、ネット遊びをする時間が確保できた。
シラス効果だ。

そこで、ブログ散歩。
いつも、楽しく、時には声をips 整容あげて笑い、ブログを読んでいるが、コメントは滅多に入れない。
読み逃げだ。

「新幹線車内。
座席にズラズラ、金太郎飴スーツ姿の諸氏が、同じ顔で座っている。
それを見て通路を歩き進み、
最後列で、くるんと振り返ると、皆、揃いも揃って、グラビアアイドルの水着週刊誌を読んでいる図」

この図を想像するのは、けっこう、いけていたりする。
同じ顔のパンダがコマになっているオセロゲームを連想した。
お父さん方、あれこれ、お疲れなんですよね。
仕事や恋人や奥さん、なかなか思うようにならないし、
グラビアで息抜き、あたま、カラにしないと、やってられないんだろう。

上記のブログもそうだが、
わたしのブログも、あまりコメントが多いほうだとは言えない。
それはそれで、ブログのスタンスだ。
コメントを毎回、いっぱい欲しがるブロガーさんもおられるだろうが、わたしは、そうでもない。
かつては、あまりにもコメントがなかったので、どんな人に読んでいただいているのか、さっぱり実体がつかめす、
やきもきしたり、なんの手ごたえもない虚しさみたいなものも感じていた。
でも、今は、ある程度の読んでくださる方々の顔みたいなものがイメージできて、安定してる。

いちいち、「そうよね」「わかる、わかる」「あ、わたしも」と、ご同意いただかなくても、まったく平気。
(同意とは限らないけれど)
「ちがうやろ」「ありえん」「また、こんなアホなこと言ってる」「性格、悪いなあ」「臭う」
という声なき声もあるだろうけれど。

まあ、それはそれとして???



「人命を守る」側と、「あの世」側

お坊さんは、(職業 業務内容として)実に、羨ましい面がある。
それは、スタンバイは大変だろうが、亡くなHKUE 認可性ってから行けばいいからだ。
その点、医師は亡くならないようにスタンバイしなければいけない。
同じスタンバイでも、ちょっと性質が違う。
臨機応変に、最新医療で対応するのと、何百年も前から同じことをやっているのとでは、
緊張感が全く違う。
遺族も、医師を責めることはあるかも知れないが、お坊さんに文句を言う人はないのでは?
お坊さんは、心の安らぎを与える側の特別職なのだろうけれど。

交通機関の運転士や工事関係者、医療関係者など、
ちょっとしたことで人身事故、大事故につながる危険性と背中合わせに仕事をしている人に比べると
業務内容で、人命にかかわるような緊張感とは無縁。
(すでに亡くなってからの、お付き合いだから、人命云々については、責任と中醫しては、管轄外)


金額は、心を反映している??? Or not???

ちなみに
お布施は、家によって金額が違うようだ。
大きな節目の法要の時は、ぐんと価格がアップ。
全く同じことをするのだが、その回忌によって、価格で、遺族の気持ちの濃淡を表すのか????


お寺さんはじめ、こういう交流、お付き合いは、故人、遺族にとって大事なのだろうけれど。
(顔も知らない)随分前に亡くなった故人に、お寺さんを中心に、法要参加者が故人との交流を図る。
お供えも、いっぱい。

ご丁寧にお寺さんからお供、うちの家にとっては全く不必要な食品だった。
なんでもいただく私でも、さすがに、義母から、「持って帰る?」と言われたが辞退した。
義母の家も、あの食品群は不必要。
他からも、お供えいただいている食品群で、やたら高価で不必要なものがある。
まったく、合理的でない。
不必要な食品が、何万円分も。
このシステム、やり方、どう激光去斑にかならないの?

これが、お付き合い、交流なのか?

お寺さん以外にも、他の人々とも、お金やモノをやり取りする。
生きている人にとって不必要なものでも、故人には必要なのか???
かといって、故人が好きだったもの、とか、そんなものでは全くない。

それが、お付き合いの方法?

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